「人を幸せにする音楽とは何か」―永遠の命題を心理面から考える―
人は、いつだって幸せになるために音楽を用いる。
音楽文化人類学者クルト・ザックスによれば、人は「幸せだから歌う」というよりは、たとえば奴隷として虐げられてきた黒人たちがブルーズを歌うように、不幸、あるいは絶望といった言葉がしっくりくるような状況のときほど、歌いたい気持ちになるらしい。
我々の身近な例で挙げれば、失恋が適切だろう。
◆ 失恋ソングはセルフケアである
失恋をしたとき、音楽を聴きながら涙を流した経験はないだろうか。米津玄師の『メトロノーム』や、HYの『366日』を聴いては思い出して胸がキュッとなるような、そんな切なさにはきっと、誰しも身に覚えがあるはずだ。かくいう筆者も思い出の曲を聴きながら、ゴールデン街で酔いつぶれた経験がある。明け方の花園神社で独り、アデルの『Hello』を熱唱しながら思いっきり泣いた。
まるで自傷行為のように己の傷を抉る音楽鑑賞行為だが、そうやって音楽の力を借りて悲しみに浸ったあとは、気分が少し上を向くような気がするものである。それが錯覚でもプラシーボでもない、心理学的に確かな作用であるとしたら、我々は本能的に音楽でセルフケアをしていたということになるのだ。
◆ 音楽と感情にまつわる研究
大学生を対象に心理学者の松本じゅん子准教授が調査した『人はなぜ悲しい音楽を聴くのか』をテーマに掲げた研究では、深く悲しみを感じている場合に悲しい音楽を聴くと、その悲しみが低下すると示唆された。
また、オーストラリアのクイーンズランド大学においてジュヌヴィエーヌ・ヴィングル教授らが行った研究でも、ヘヴィ・メタルやハードコア、パンクなどの過激な音楽に、聴いた者の怒りを沈める効果があると実証されている。
自分の感情の全容を、音楽を通して再認識するのか。もしくは、自分の言語化しづらい感情を代弁された感覚になるのか。その理論的なプロセスは不明だが、おそらくそこには、音楽で引き起こされる情緒的な経験があるはずだ。その経験によって自分の抱える同種の感情が解放され、ある種の快感が得られるのかもしれない。
それはまさしく、カタルシスそのものであると言えよう。
◆ 幸せに向かって立ち上がるために
カタルシスとは、哲学者アリストテレスが提唱した「感情の浄化」を指す演劇用語であり、精神医学者ジークムント・フロイトが治療に用いた「カタルシス療法」の基礎的な考え方である。「舞台上で繰り広げられる悲劇が、観客の恐れや憐れみなどの感情を引き出し、負の感情を解放させて浄化する効果をもたらす」とし、今では哲学、心理学用語として広く使われるようになった。
これを失恋になぞらえて考えると、失恋ソングで歌われる共感の得られる歌詞や、音楽理論上効果的な旋律やコード進行などを通じ、自分の感じている悲しみが楽曲によって浄化される、ということだ。このことから、失恋ソングを聴くという行動は、まさにこのカタルシスを得るという理由で、失恋時には効果的であることがわかるだろう。
我々は、そのときの自分が苛まれている感情と近い音楽を聴くことで、音楽と心理が持つ浄化作用の力を借りながら、幸せへの道を再発見することができるのである。
――人生は七転び八起きだ。ハードルにつまずき、何度だって横転する。それでも立ち上がって足を踏み出すのが「生きてゆく」ということだが、生じる感情に邪魔をされながらも幸せに向かって一人で走り続けるというのは、いささか骨が折れるだろう。
人を幸せにする音楽とは、幸せになりたい我々を支えて手助けしてくれる、感情の伴走者なのかもしれない。
参考文献:松本じゅん子『音楽の気分誘導効果に関する実証的研究 -人はなぜ悲しい音楽を聴くのか-』
The Guardian『Listening to 'extreme' music makes you calmer, not angrier, according to study』
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