熊木杏里の世界観をたっぷりと味わえた2日間。新アルバム「なにが心にあればいい?」の発売記念ライブも12月に…
この週末の日本橋三井ホールは、私たちが知るいつもの姿とは違っていた。客席数は半分。フロアからは段差が取り除かれ、前後左右を一席ずつ空けた状態で椅子が整然と並べられている。入場口では靴底と手指の消毒、公演も二部制になっていて途中で会場内を換気する時間が設けられ、さらにロビーの混雑を抑制するための規制退場についても事前にアナウンスされていた。
聞けば、メンバーやスタッフもPCR検査の結果を確認した上で、ライブに臨んでいるという。コロナ禍にあって、ここまで徹底的に感染対策がなされていれば、逆に安心だ。
ファンはこのときを待ちわびていた。なにしろ、ほぼ1年ぶりのライブなのだ。それでいて2デイズとくれば、期待はおのずと高まる。<#An_semble〜再会〜>と題した1日目、同じく<#An_semble〜再開〜>と題した2日目。それぞれアコースティック編成、バンド編成と趣向を変え、熊木杏里の世界観をたっぷりと味わってもらうべく用意された2日間だ。
両日のセットリストは、11月11日にリリースされたニューアルバム『なにが心にあればいい?』からの楽曲を中心に、熊木の今の想いを吐露するかのようなラインアップ。
「曲をつくって、こうしてライブをやれることが、とても尊いことだと思えるよね」
そう言って、彼女は1曲1曲を、本当に大事そうに歌った。
◆ アコースティック編成のライブ1日目
1日目。アコースティック編成といっても、ギターとベース、そして熊木のピアノだけ。ごくシンプルなサウンドプロダクションが成立するのは、歌とメロディが確立されているからにほかならず、この日は熊木杏里の歌声をたっぷりと堪能できる一夜となった。
洗いざらしの木綿のような、風を運んでくるかのような、フォーキーでゆるやかな……等々、彼女の声質を形容する言葉ならいくらでも浮かんでくるのだけど、静寂のなかにゆっくりと響きわたるその歌声は、驚くほどダイレクトに聴き手に染み入ってくる。声にも浸透圧みたいなものがあるのかな、と、ふと思う。
なんにせよ、いい気分だ。1曲終わるごとに、拍手を躊躇してしまうほどの余韻がそこに残る。しかし、それをいとも簡単にぶち壊す人がひとり。
「キンチョーしたぁああああ!」
そう、自分が紡ぎ出した音楽の最高の余韻を、みずからの手でひっかき回す、それが熊木杏里。「私、今日なんかヘン?」としきりにメンバーに尋ねるも、いたって通常運転であることはファンにもわかる。
「今日は気持ちがハイなんだ!(スカートの)ウエストもハイなんだ!」
このクスッと感満載のトークに、オーディエンスは到底耐えられない。マスク越しの笑い声があちこちから上がって、会場全体が静かに沸く。彼女自身のキャラクターもまた、その歌声と同様に唯一無二なのだ。
◆ オーディエンスの想いを汲み取った2日目
さて、翌日。まず、開演前のアナウンスがおもしろかった。
「昨日はみなさまの大きなリアクションに熊木杏里が喜んでおりました。今日も負けないぐらいのリアクションをお願いします。と、本人よりリクエストがございました」
大きな声援は送れなくとも、熱のこもった拍手や動きで感動は伝わる。熊木はオーディエンスの想いをまるごと受け取って、2日目のステージに立った。この日は前日よりもニューアルバムからのセレクトが多く、序盤は楽曲の成り立ちを話しながらのゆったりとした流れ。奥行きのあるバンドサウンドに乗って、歌声もぐっと伸びやかだ。
「なにが心にあればいいかって自分に問いかけたとき、すぐに浮かんでくる人や場所、それがあるから頑張っていこうと思えるんだよね。春の自粛期間にも、ライブに行きたいって言ってくれる人がたくさんいて、すごく励みになりました。だから曲をつくって、いつか披露したいなと思っていたんです」
ありふれた日常の機微に触れ、その心象風景を切り取るようにして彼女は音楽をつくる。新作にある、ゆるやかな旋律のなかに刻まれた強い想いは、紛れもなく今年だからこそ表現できたものだろう。終盤に向かってはステージも客席も、みんなの気持ちが次第に高まっていく。新曲には明るくひらけた印象の楽曲も目立ち、サウンドのスケール感と相まってどこまでも広がっていくような感じを覚える。立ち上がって楽しめないのがもどかしいほどだ。
「届きましたかね? なにかしら届きましたか? みんなが元気になってくれるのがいちばん!」
最後の曲を歌う直前に、地震で会場が揺れるハプニングがあった。「思い出ひとつ増えたね!」と言う彼女に心揺さぶられ、癒され、笑わされ、どこか救われた気分になった夜。次のライブは来年の春を予定しているそうだ。日程も会場も未定なのに発表してしまう熊木杏里のその心意気、しかと受け止めた。
文:斉藤ユカ
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